マンション投資の鉄人

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第三の鉄人

私のマンション投資暦(2)

東京・三鷹 H.H

友人の一言が全ての始まり

 1987年夏、「もう東京では、自分の住む家も買えないな、地方で買うしか無いな」と友人が残念気に、ふと漏らした言葉が全ての始まりでした。そのころ、東京の商業地ではすでに土地が値上がりしており、住宅地にもその影響が出ていました。その2年程前、東京・杉並の借家に住んでいた私は、地上げに合い、三鷹に小さな一戸建てのを購入していました。これまで全く不動産ついて感心がありませんでしたが、不動産屋との交渉で多少なりとも知識を得ていました。しかし特に不動産投資をしようと考えていたのではなく、ただ何か面白いこと(儲かること)はないかなと、漠然と思っていただけでした。それが、友人の何気ない一言で、7年後の現在では、13戸の投資用マンションを札幌(11)と東京(2)に所有し、1994年度から青色申告をしています。

まずは資料集めから

 は、友人の一言で「不動産投資も地方ならできるだろう」と思ったものの、すぐ札幌に投資を始めたわけではありません。まず、住宅情報誌を買い、どの都市が不動産投資に向いているか、博多、仙台、埼玉、札幌等と日本各地の不動産屋から情報を収集しました。そこで出た結論が、札幌が一番利回りが良いということでした。そして、今度は、札幌に的を絞って情報を集めました。札幌の月刊住宅情報を定期購読すると共に、そこに名前が載っており、良さそうな物件がある業者から資料を請求しました。そのころ不動産投資の本も並行して読み始めていました。しかし、これまで一度も不動産をしたことのない私は、なかなか買う物件を決められませんでした。

良い不動産屋が見つかれば、ほとんど成功

 ある時、何度となく電話で話していた不動産屋からなかなか良い物件があると、シャンポール中島公園を紹介されました。そこで役に立ったのが、これまで集めたデータです。ほぼ同じ物件の情報が私の手元にいくつかあり、そのどれよりも条件が良いものでした。それから、さらに値下げ交渉をして、結局、1981年建設で当時8年の物件が利回り8%(870万円・40平方米)で購入することができました。友人の何気ない言葉から一年半が過ぎていました。良い不動産を購入するのは、良い不動産屋と巡り合うことだと言われますが、私の札幌の不動産の知識はこの不動産屋(中村氏)に負うことが多く、いまでも非常に感謝しています。残念ながら現在では、氏との取引はありませんが、札幌のマンション事情の知識が皆無だった私が、ここまで続けてこられたのも氏のおかげだと思っています。私は札幌の物件に関しては、全く物件を見ないですし、不動産屋とも会わずに、全て電話のみでやりとりをします。実意は、アパマンの山崎氏とも、お付き合いをはじめてから、約4年になり、物件も8つ購入していますが、未だに一度もお会いしていないのです。
従って電話の応対を通して相手を見極めることが大切になってきます。良い不動産屋は、細かいこちらの質問にも丁寧に答えてくれ、情報の最大の収集源になります。また物件の購入は余り強く勧めません。なぜならば、買うか買わないのか最終決断をするのは、購入者本人であり、長期的な顧客との良好な関係を維持するてまにも無理強いはできないのです。その後(1990年ごろから)、札幌も不動産が値上がりし、利回りがどんどん悪くなり、%5%ぐらいが当たり前の時期が続きました。
しかし。最初の投資で気を良くしていた私は、何とか次の良い投資物件はないかと、毎月札幌の月刊住宅情報を購読し、札幌のあちこちの不動産屋から資料を請求するとともに、東京にも目を移し始めました。そこにちょっとした落とし穴がありました。その後については次号で・・・。